日本における牧草栽培の歴史

日本において、明治以前牧草栽培はさかんではありませんでした。馬育成のための放牧地が開かれたのは西暦700年ぐらいまではるか昔までさかのぼりますが、当時から馬さんの食べていたのは主に野草であり、人間の育てた牧草ではなかったようです。良い放牧地の草は、自然の恵みのような捉えだったのかもしれません。

明治に鎖国が解かれ、外国牧草が導入が明治政府によって進められます。外国牧草とは、チモシー、オーツヘイ(エンバク)、イタリアンライグラスなどですね。外国の商社から種を購入し、牧草を育てたようですが、チモシーを「ちもじー」、イタリアンライグラスを「伊太利裸麦草」などという文献への記載があって興味深いところです。

ただ、その後明治中期から在来草(元々日本に生育していた野草)の利用が見直されたこともあり、外国牧草の栽培は下火になりました。在来草や稲のワラを干して牧草としたようです。

戦後、外国牧草栽培が推進された時期もありましたが、日本の工業化の発展により、牧草の国内栽培より飼料を含めた乾燥牧草の輸入が進められました。現在では牧草はアメリカ、オーストラリア、カナダなどから輸入されています。

日本の牧草栽培の歴史を振り返ってみましたが、いかがでしたか?外国牧草だけでなく、日本古来の牧草利用されてきた品種を見直してみることも大切なことかもしれませんね。

参考文献 「明治初年の牧草導入(1977年)」西村修一(九州大学農学部)